北上姉妹の芸術鑑賞(没ver)
私達は噛み合わない。凸凹ではなく両方凸だからだ。二人の距離は、時間と共に大きく離れてしまったのだろう。あの人は、いつの間にか私の中で遠い存在になっていた。
「おーい、起きろー」
…眠い。一体誰だ?まだ私は寝ていたい。私の頭はきっちり八時間睡眠をとらないと働かないのだ。
「昔と変わらずお寝坊さんだな〜イデちゃんは。」
…そういえばこれは誰の声だ?こいつ、私の部屋に無断で入っているじゃないか!!
「何者だっ!」
パジャマ姿の私がベッドから飛び降りると、ガラ空きの窓にはここ数年見ていない、けれどよく知った顔があった。
「おねえ…様!?」
「久しぶり〜イデちゃん!大きくなったな〜!」
私は北上伊凸。そして私の姉、北上凸亜。彼女は三年前に消息不明になっている。聞くところによると北上家の規則や礼儀作法にウンザリして家出したという話だ。だというのに彼女はここに居る。しかも屋敷の三階の窓から入ってだ。
「お姉様、今まで何をされていたんです!?私はあなたのことが心配で心配で…!」
「まぁまぁ、そういう細かいことは良いから!あのね、今日はイデちゃんに頼みごとがあってここに来たんだ。聞いてくれるか?」
「はい!勿論です…お姉様のお役に立てるなら。」
「そんな堅くならなくても良いのに。俺達、たった2人の姉妹なんだからさ。」
「いえ…私は超能力者としても、人間としてもお姉様を深く尊敬しております。とても対等に話すなんて事は…」
「まあ話しやすいようにしてくれればいいさ。それで頼みごとなんだけど…」
「あっ、少しの間お待ちくださいお姉様!お父様も呼んで参ります。きっと喜ばれるはず…」
部屋から出ようとする私の前に、一瞬の間でお姉様は立ち塞がった。
「ストップ。それはダメだよ。卍郎が俺のことを知ったらなんとしてでも連れ戻そうとするから。それは面倒だ。だから、俺が来た事は俺とイデちゃんだけの秘密。分かった?」
「…はい。承知しました。それで、頼みごとというのは…?」
「俺と一緒に、芸術鑑賞に行かないか?」
こうして、私はお姉様と県内で最大の星野美術館へ行く約束をした。現在開かれているのは「世界のオカルト絵画展」と言うらしい。お姉様は昔からこういったオカルトだとか心霊現象に興味深々だった。待ち合わせの時間が夜七時だというのは多少引っかかるが、あんなに遠い存在だったお姉様と一緒に居られる時間ができたのはとても嬉しい。きっと有意義な時間になるだろう。
さて、待ち合わせの時間、場所にやって来た訳だが。
「お姉様、ここはもう閉館しています。」
「うん。知ってるよ。それじゃ行こうか。」
「お姉様、入り口は閉まっています。」
「そうだよ。だからイデちゃんに壁を破壊してもらうんだ。」
「お姉様、これから何をするのですか?」
「芸術鑑賞だよ。ついでにちょっと展示品を一枚貰っていくけど。」
「お姉様、それは窃盗という犯罪行為です。」
「大丈夫。捕まらなければ犯罪じゃない。」
なんということだ。私は犯罪行為の手伝いをすることになってしまった。いや、しかし尊敬するお姉様の頼みだ。今更断れるはずもなければ断る気もない。私はお姉様の道具で構わない。私は壁を粉砕した。声で物体を破壊する私の能力によるものだ。【粉砕】の文字通り、壁は粉ほどに細かく砕け散る。
美術館の中には外壁から侵入した不審者がふたり。抜き足、差し足、忍び足。チーズを盗み出すネズミの様に、真っ暗闇の中を静かに進んで行く。
お姉様は迷路のような館内のつくり、警備員の巡回ルート、監視カメラの死角を完璧に把握していた。さながら作り話の中に登場する怪盗だ。あとは私が失敗をしなければ良いだけの話なのだが、ああもうなんだってこんな時に鼻がむずむずするのだろう…
「へっくしゅ」
「誰だ!?」
やってしまった。二人組の警備員がこちらへ向かって来る。今は曲がり角に隠れてあちらからは見えないが、それも時間の問題だ。警備員が角を曲がって私達の姿を見ようとした、その時。
稲妻が走った。
感電した警備員は音も無く床に倒れこむ。北上凸亜の両腕からは紫に光るプラズマが迸っていた。
「す、すみませんでした…!お姉様の静電気増幅能力、相変わらず素晴らしき腕前です…」
「手荒な真似はしたくなかったんだけどね。さあ、脱がすの手伝って。」
「へ?」
「こいつらの制服を頂戴するのさ。この暗がりなら充分な変装になる。」
「は、はぁ…」
そうしてサイズの合わない警備服を着ることになった。私は全身ダボダボ、お姉様は逆に胸元辺りが窮屈そうだ。しかし変装の効果は意外にも大きかった。何度か他の警備員に見られたが、ある程度離れていれば怪しまれることはない。そうして私達は目的の絵画の前に到着した。
絵の内容は、1人の少年と少女の形をした人形が窓の手前に立って居るというもの。だが窓からは無数の手が伸びていて、なんとも気味の悪い絵だった。
「ビルストーンハムの呪いの絵画。正式名称はハンズ・レジスト・ヒム。この絵の持ち主は皆不可解な死を遂げている。見た者全てを呪い殺すとも言われている。」
呪い…黒田霊園での幽霊退治を思い出す。私は形のない不安に襲われた。
「…だけど、そんなのは全部真っ赤なウソ。これはオークションで出品者が値段を吊り上げるためにでっち上げた作り話さ。実際、これには百万円以上のプレミア価格が付いてるからね。」
良かった。この前の黒田霊園の様な危ない目にお姉様を巻き込む訳にはいかない。
「イデちゃんを呼んだのはこの為だ。強化ガラスを壊せる手段といえばイデちゃんの能力くらいしか思いつかなかったからね。さ、やっちゃって!」
…ああ。やっぱり。お姉様が必要としていたのは私じゃなくて私の能力だけだった。お姉様との距離が縮まっただなんて浮かれていた自分が恥ずかしい。ううん、それで良いんだ。私の能力がお姉様のお役に立てるならそれで幸せだ。私はお姉様の道具として居ればそれで良い。
ガラスは砕け散った。そして剥き出しになった芸術品を両手でそっと抱える…つもりだったのだが。
「イデちゃんそれから離れて!!…クソ、間に合わなかったか!」
私はとっさに距離を置いたそれに、あり得ないような光景を見せられた。
絵画の中から少年と少女人形が這い出てきている。屏風の中の虎ではあるまいし、そんな事が起こりうるのか?
「お姉様、これは…!?」
「呪いの絵画は作り話だった。それは本当さ。だけど人々に信じ込まれたその作り話は、いつの日か本物になってしまったんだ。」
眼前にはふたつの人型が佇んでいた。真紅に輝く双眸から放たれる視線からは、剥き出しの殺気が痛いほどに伝わってくる。
先に動いたのは少女人形。非現実的な跳躍力でこちらへ飛びかかって来た。私は大きく息を吸い込み、
「Aaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」
また大きく声を上げる。人形の材質は木であると推測した。それに対応する周波数の音波を放ち、そして破壊する。あと残るは少年のみだ。
少年は不気味な笑みを浮かべ、小さく手を上げた。すると人形の欠片は、まるで時間が逆行したかのように元どおりに復元した。
「人形をやってもすぐに直されちまう…まずは男のガキからだ!」
お姉様の指から放たれた電流の束。それは一直線に少年へ向かって行く。稲光は標的の体を貫いた。
だが効き目がない。霊体には現世のいかなる攻撃も通用しないのだ。少年はこちらの番だと言わんばかりにお姉様目がけて突進して来た。
お姉様が危ない。せめて私が盾にならなくては…!私は少年霊の前に立ち塞がった。
「ぐっ…!」
肩の肉が抉られる。敵の攻撃方法は噛み付きという原初的なものだった。そんなことよりお姉様に怪我はないだろうか…
「おい、お前…」
「お姉様、ご無事です…か?」
「俺の可愛い妹になにしてくれてんだテメエエエエエエ!!!」
「え…!?」
あんなに怒ったお姉様は初めて見る。お姉様はポケットから何かが入った容器を取り出した。あれは塩…だろうか?
「お前の弱点は知ってるんだ、こいつだろ!?塩分は霊体を固形化するからな…そら、くらいな!」
振り撒かれた塩は少年に見事命中。そして次の瞬間、その体は今度こそ稲妻に貫かれていた。
少年霊が倒されると同時に少女人形もその姿を消滅させた。呪いの絵画を踏み砕いたお姉様はすぐ私に駆け寄る。
「おいイデちゃん、大丈夫かよ…!?」
「はい、この程度の傷なら大した事はありません。それよりもお姉様にご心配をかけさせてしまって、本当に…!」
「そんな事気にしなくていい!なあイデちゃん、お前は俺にとって世界でたった一人の大切な姉妹なんだよ…!イデちゃんが傷付くのは見たくないんだ…」
「私の…事が…大切?」
「そうさ。三年間も離れてたけどさ、俺はイデちゃんの事を愛してる。」
「…!!」
「だからさ、こんな堅苦しい関係はやめにしよう。これからはお姉様、じゃなくてお姉ちゃんって呼んでくれ。敬語もナシだ。いいかな?」
「はい…!お姉さ…じゃなくて、お、お姉ちゃん!」
「うんうん、やっぱりそっちの方が良いよ。それじゃ帰ろうか!」
「…帰るって?」
「気が変わった。これからはイデちゃんと一緒に暮らすことにするよ。ちょっとずつで良い、これから仲良くなっていきたいんだ。」
私達は噛み合わない。凸凹ではなく両方凸だからだ。失われた時間と距離はとても大きい。それなら、これから少しずつ取り戻していけば良いんだ。どんな時も、二人は心の何処かで繋がっていたはずだから。